fumifumi談義~日本のワイン~

日本人が初めてワインと出会ったのは16世紀後半、フランシスコ・ザビエルがキリスト教伝道のため持ち込んだ「キリストの血」を象徴する赤ワインでした。

そして、江戸時代終盤に4隻の黒船が浦賀沖に来航、ペリー提督が将軍にワインを献上しています。

それからわずか半年で200年続いた徳川幕府による鎖国が破られ、激動の幕末を経て新しい時代を迎えることになります。

元号が「明治」に変わると日本の近代化が急速に進み始めました。

日本人の主食である米を守り、食文化の変化にも対応するために、痩せた土地でも栽培できるブドウを原料としたワイン造りを試みようと考えます。

明治3年(1870年)に山梨県甲府市で「ブドウ酒醸造研究所」が、その6年後に札幌で「開拓史葡萄酒研究所」が設立されました。

明治10年(1877年)には山梨県に「大日本山梨葡萄酒会社」が誕生します。ブドウ栽培とワイン醸造を勉強するためにフランスに留学した土屋龍憲氏と高野正誠氏は、帰国後、明治12年(1879年)に本格的なワイン造りをスタートさせました。

明治以降、日本のワインに貢献した人は何人もいますが、日本を代表するブドウ品種「マスカットベーリーA」を生み出した川上善権兵氏(1868年~1944年)やサントリー創業者の鳥井信治郎氏(1879~1962年)の活躍も日本ワインを語るのには欠かせない存在です。

112年前の4月1日は、日本で造られたワインの元祖ともいえる「赤玉ポートワイン」がサントリーから販売された日です。

鳥井氏は20代後半の頃、スペイン商人宅でスペイン産ワインを飲む機会に恵まれます。

ご馳走になったワインに感動!早速、スペイン産ワインを輸入販売したのですが、売れ行きは思わしくありませんでした。

そして、再びスペイン商人宅で飲んだポルトガル産の甘口ワインに再感動。

この味は日本人の味覚にあうと確信した鳥井氏は、スペイン産ワインに甘味料などを配合して日本人好みのワインを完成させました。

発売価格は、お米一升(約1.5kg)が10銭の時代に赤玉は1本38銭、かなりの贅沢品です。

時代は大正後期になり「赤玉ポートワイン」は国内ワイン市場の60%を占めるまでになりました。

以来ロングセラーとなりましたが、66年後の1973年にマドリード協定により「赤玉スイートワイン」に名称が変更されます。

このマドリード協定は、原産地呼称を独占、不正な産地名の使用を防ぐためにスペインの首都マドリードで1891年に締結された条約です。

日本はマドリード協定に1953年に加入しましたが、この条約による日本国内への影響は大なり小なりありました。

余談ですが、清涼飲料水に使われていた「ソフトシャンパン」「ソフトシャンペン」の名称が使用できなくなりました。

ソフトはソフトドリンクのこと、日本ではアルコール分1%未満の飲料のことを指し、シャンパン又はシャンペンはフランスの発泡酒の産地「シャンパーニュ」の名称です。

ノンアルコールのシャンパン、クリスマスに欠かせない子供たちの飲み物は「シャンメリ」に改名されました。

さて、明治、大正、昭和、平成と元号が変わり、150年の間に日本のワインは確実に進歩を遂げています。そして、新元号は「令和」へ。

この「令和」には、人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つという意味が込められています。

ちなみにワイン造りがスタートした「明治」は、聖人が南面して政治を聴けば、天下は明るい方向に向かって治まるという意味だそうです。

時代時代の元号に込められた意味のように、ワインという飲み物が明るい方向へ、そしてワインの文化が育ち、日本ワインが世界に向けて益々大きく花開くことを信じています。

新天皇即位の5月1日はやっぱり日本ワインで乾杯ですね!


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