Fumifumi談義~万国博覧会~

Fumifumi談義~万国博覧会~
1855年にフランスで開催されたパリ万国博覧会で、当時の皇帝ナポレオン3世はボルドー地方のワインに格付けすることを命じました。

12世紀から15世紀にかけてイギリス領になってしまったボルドー地方のワインを世界中から集まる来賓にフランスワインとしてアピールしようと考えたのです。

商工会議所に依頼された格付けは、すでに価格や評判に基づくリストを作成していた仲買人組合に委ねられました。

この格付けは165年経った今でも世界中のワイン愛好家がボルドーワインを購入する際の目安にするほど権威を持っています。

そして12年後の1867年に開催されたパリ万国博覧会では、細菌学者のルイ・パストゥール氏がワインの病変とその防止に役立つ「低温殺菌法」でグラン・プリを受賞しました。

「低温殺菌法」とは、酵母が引き起こすアルコール発酵と細菌が引き起こす有害な発酵を区別して変質を引き起こす菌を加熱することで殺菌するというもの。

この技術の発明により世界各国に安定したワインの輸出が可能となりました。

格付けと殺菌法はフランスワインの発展と名声を確立することに大いに貢献したのです。

日本と万博との関わりは、1862年に日本の遣欧使節団が第2回ロンドン万国博覧会を視察したことから始まります。

日本が初出展をしたのは、ルイ・パストゥールがグラン・プリを受賞した1867年のパリ万国博覧会から。

当時は「徳川幕府」、「薩摩藩」、「鍋島藩」がそれぞれ出展するという状況だったそうです。

日本が公式参加を果たしたのは1873年のウィーン万国博覧会でした。

約1,300坪の敷地に神社と日本庭園を造り、白木の鳥居、神社、神楽堂、反り橋が配置され、浮世絵や精巧な美術工芸品が展示されました。

日本国内での開催の動きは1890年にありましたが時期尚早ということで見送られ、1940年の開催に向けての準備が行われました。

テーマは「東西文化の融合」、会場は横浜です。

入場券が印刷され発売されるところまで準備が進んだのですが、第二次世界大戦の勃発とともに1938年に中止の決定が下されました。

中央区にある勝鬨橋はこの万博のために建設されたものだそうです。

日本初の万国博覧会は1970年の大阪。

そして大阪は2025年に2回目の開催が決定しています。

ところが新型コロナウイルスの世界的な感染拡大を受け、アラブ首長国連邦の「ドバイ国際博覧会」が今年10月開催予定から1年程度の延期を検討することで合意したそうです。

ドバイ国際博覧会の延期を受け、大阪での開催にも影響を及ぼす可能性があるようです。

ドバイ万国博覧会のテーマは「心をつなぎ、未来を創る」。

世界中の人が心をつなぎ協力することが、新型コロナウイルスの終息に繋がるのだと思います。

笑顔で生活できる日々が早く来るよう祈るばかりです。


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