Fumifumi談義~シャトー・ムートン・ロートシルト~

ひときわ目を引くアートラベル。

たかだかワインのラベルなのに、その芸術性の高さや美しさからワインコレクターに絶大な人気を誇るボルドー地方五大シャトーのひとつ「シャトー・ムートン・ロートシルト」。

1855年パリ万国博覧会の開催にあたり、シャトー・ラフィット・ロートシルト、シャトー・マルゴー、シャトー・ラトゥール、シャトー・オー・ ブリオンの4つのシャトーにメドック地区の格付け第一級の称号が与えられましたが、残念なことにシャトー・ムートン・ロートシルトは当時二級格付けです。

真偽のほどはわかりませんが1級になれなかった理由が色々ささやかれています。

1853年、イギリスの男爵家の分系であるナタニエル・ド・ロスチャイルド男爵がシャトー・ブラン・ムートンを購入、シャトー・ムートン・ロートシルトと改名しました。

購入した2年後の1855年に行われた格付けでは、当時のオーナーがシャトーを取得してから日が浅かったため2級格付けになったともいわれています。

その他にもシャトー(城)が無かったから、オーナーがイギリス出身でフランス人の所有物ではなくなってしまったから等々、こじ付けとも思える理由が沢山話題に上りました。

噂というのは本当に勝手なもので、シャトー・ラトゥールの城も格付け以降の1864年に完成していますし、シャトー・ラフィット・ロートシルトのオーナーもフランス人ではありませんでした。

なにはともあれ、1973年に二級から一級に昇格したシャトー・ムートン・ロートシルトは、メドック格付けにおいて歴史上唯一の昇格シャトーとしてその名を確固たるものとします。
Chateau Mouton Rothschild 1973
ラベルに記載されているフィリップ・ド・ロスチャイルド男爵の言葉にも注目が集まりました。

以下は1855年メドック格付け二級のときと、1973年一級に昇格したときの標語です。

「 Premier ne puis, second ne daigne, Mouton suis.」
第1級たり得ず、第2級を肯んぜず、そはムートンなり

「Premier je suis, Second je fus, Mouton ne change.」
今第1級なり、過去第2級なりき、されどムートンは不変なり。

第二次世界大戦後の1945年から世界の著名な画家がラベルの絵を描いていますが、1級昇格となった記念すべき1973年はパブロ・ピカソ氏の作品が採用されました。

ピカソは1973年4月8日に南仏の自宅で肺水腫により亡くなりましたが、ワインが未完成だったことが心残りだったと思います。

ちなみに日本人は堂本尚郎氏、セツコ・バルテュス(出田節子)氏がムートンのラベルを手掛けています。
Chateau Mouton Rothschild 1979
堂本尚郎氏はシャトー・ムートン・ロートシルトから電話で「ボトルのラベルに絵を描いて欲しい」という依頼があった時に「そんなところには描けない」と断りました。

その後、シャトーとアートラベルの歴史をしり実際のワインを見て驚き、急遽承諾の返事をしたそうです。

フィリップ・ジュリアン、ジャン・ユーゴー、マリー・ローランサン、サルヴァドール・ダリ、セザール、ジョアン・ミロ、マルク・シャガール、アンディ・ウォーホール、ジョン・ヒューストン、キース・ヘリング、フランシス・ベーコン、バルテュス、ボトルのラベルを見るだけでも美術館に行ったような満足感がありますよ。


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