神戸に行ってきました。
目的はお招きいただいたワイン会に参加することだったのですが、当日少し早めに東京を出発して神戸を散策することにしました。
北野の異人館、ポートタワー、南京町、灘の酒蔵、外国と日本が交錯する神戸は素敵な街です。
ちょっとした旅行気分を味わうことができました。
少しの滞在でしたが帰りの新幹線の中で、今回のメルマガは「神戸」にしようと心に決めていました。
神戸の地名の由来は平安時代初期、現在も神戸市内にある生田神社に朝廷から封戸(ふこ)として44戸が与えられたことから始まります。
封戸とは神に仕えて奉仕する人々の家(戸)のこと。
神に仕える神の戸が「かんべ」、「こんべ」、「こうべ」と変化して村の名称になりました。
幕末の神戸村は綿と麦の畑ばかりで何もない原っぱのような場所。
建物といえば海軍操練所と農家が数件という田舎の村でした。
明治元年(1868年)に兵庫県が置かれてすぐに起こった「神戸事件」。
その時、活躍した旧千円札の絵柄でも有名な伊藤博文氏が初代知事に就任し居留地の造成に力を尽くしました。
神戸村は外国人が暮らす居留地となり欧米文化が急速に普及します。
居留地は明治32年までの約30年間、外国人による自治が行われたため西洋の生活様式がそのまま持ち込まれました。
今でこそ有名な神戸牛ですが、明治2年開業の肉鍋専門店で牛鍋が売り出されるまで牛肉を食べる習慣はありませんでした。
すき焼きも神戸発祥で、農具の鋤(すき)を鍋のかわりに使ったという江戸時代の資料を研究、神戸牛を使用して販売されたそうです。
これは戦後のお話ですが、お客様の目の前で調理する鉄板焼きのステーキも神戸生まれです。
お好み焼きが口に合わない外国人に牛肉を焼いて提供したのが始まりでした。
子供の頃、駄菓子屋さんで飲んだラムネは明治18年に製造されました。
名前の由来はレモネードですが、居留地18番で製造されたので「18番」という愛称で販売されました。
当時、日本ではコレラが流行、大手の新聞が「炭酸飲料を飲めばコレラにかからない」と書いたことでラムネの販売が急増したという逸話も残っています。
アサヒビールの炭酸飲料の三ツ矢サイダーは兵庫県の平野鉱泉を用いた「三ツ矢平野水」が元祖です。
日本三古の湯・有馬温泉の炭酸源泉で作られた「有馬サイダー」もてっぽう水と呼ばれ居留地の外国人に人気でした。
明治20年頃、イギリスのウスターソースを参考に日本人の味覚に合ったソースが誕生しました。
仙台藩おかかえの藩医だった安井家の十三代目安井敬七郎氏が、ドイツの工学博士ワークネル教授と食事をした際に
「神戸には美味しい肉があるのに、どうして日本には美味しいソースがないのか」という教授の言葉に一念発起、ソース作りに励んだそうです。
明治13年には灘の日本酒に品質保持や運送に便利な一升瓶が使われるようになりました。
このことにより地方の人達も日本酒の「灘の生一本」が飲めるようになったのです。
近年では世界各国で飲まれている日本酒ですが、東灘区の酒蔵・神戸酒心館で造られる福寿は日本人がノーベル賞を受賞するたびに晩餐会などの公式行事に提供されています。
その他、大正になってからはドイツ人のカール・ユーハイム氏が元町に創業した洋菓子店で日本初のバームクーヘンを、
ロシア革命から神戸に亡命した菓子職人のマカロフ・ゴンチャロフ氏はウイスキー・ボンボンを作りました。
六甲アイランドに本社を構えるモロゾフ製菓は「ヴァレンタインの愛の贈り物はスヰートハート」と日本初のバレンタインデーの宣伝をしたそうです。
神戸っ子は新しいもの「初モノ」が大好きなのですね。
調べれば調べるほど外国から持ち込まれた様々なモノがあふれていると実感しました。
神戸はまた訪れたい素敵な街。
次回は神戸ワイナリーと淡路島に行ってみたいと思っています。