先日、日比谷松本楼で開業115周年の記念イベントが開催されました。
テーマはシャンパンメゾン「ジャック・ラセーニュ」のクロ・サント・ソフィーに繋がる山梨・勝沼ヒストリーです。
ナビゲーターはワインジャーナリストの青木冨美子先生。
フランスのトロワと勝沼を結ぶワインの歴史は、知れば知るほど日本のワインを愛でたくなる素晴らしい内容でした。
ヨーロッパと日本の初期の交流は17世紀末に始まりましたが、フランスとの国交が正式に確立されたのは19世紀半ば。
日本の開国となる明治維新まで待たなければなりませんでした。
明治10年、当時25歳の高野正誠氏と19歳の土屋龍憲氏が山梨県勝沼からフランス・シャンパーニュ地方のオーブ県トロワ市に留学、
同市にある農業試験場「クロ・サント・ソフィー」でワイン造りを学びます。
さて、ふたりは何故フランスでワイン造りを学ぶことになったのでしょうか?
当時の日本は、先進資本主義諸国の外圧に対抗するため、政府が資本主義的生産方法の保護育成政策を展開していました。
産業機械や技術の導入、軍事、鉄道、鉱山、通信、造船等の官営工業、紡績や製糸等の模範工場の経営などに力を注ぎ、
1875年以降は私企業への各種補助金や勧業資本金の交付などに重点を置き、近代産業の形成を促進しました。
山梨県東八代郡の祝村(現在の勝沼のあたり)は、政府の殖産興業政策のもと日本で初めてとなるワイン醸造会社「大日本山梨葡萄酒会社」を設立します。
会社設立の年に高野氏と土屋氏が伝習生に選ばれ、フランス船タナイス号で横浜港を出航、フランスへワインの修行に向かうことになったのです。
1年間でブドウ栽培とワイン醸造の技術を習得、醸造器具の使用方法を学ぶという任務を背負っての渡仏でした。
後の山梨県知事となる前田正名氏も渡仏、ふたりにパリの知人宅を紹介してフランス語を学べる環境を提供しました。
前田氏はフランス語が何となくわかるようになったふたりに、トロワ在住の植物学者で苗木商のシャルル・パルテ氏と
ブドウ栽培とワイン醸造の研究実務者ピエール・デュポン氏を紹介、ワイン造りの修行がスタートします。
当初の帰国予定は一年後でしたが、ふたりは留学延長を願い出ました。
延長分の経費は自己負担となりましたが半年間の猶予が与えられ、その結果、仕込みから貯蔵法、
新酒の蔵出しまで一通りの過程に加え、シャンパンやビールの醸造法も学ぶことができたそうです。
明治12年に帰国したふたりは、故郷へ戻り甲州ブドウの白ワインと山ブドウの赤ワインを醸造しました。
当時、日本ではワインの発酵に麹を用いていましたが、帰国の翌年には麹を使用しない本格なワインを造りました。
そして、ふたりはフランスから100本の苗木を持ち帰り勝沼に植えました。
その苗はクロ・サント・ソフィーの畑のブドウ樹だったそうです。
今回の松本楼のイベントに供出されたシャトー・メルシャンのワインとジャック・ラセーニュのシャンパンの数々。
高野氏と土屋氏のワインへの情熱がグラスの中でキラリと光った気がしたのは私だけでしょうか?