夏の風物詩「花火」。
日本最古の花火大会といわれている隅田川の花火は50数年前まで「両国の川開き」という名称でした。
打ち上げ場所は現在と異なり、両国と日本橋を結ぶ両国橋の上流だったのですが、河川の環境悪化や交通事情等により昭和36年を最後に花火大会は中止になりました。
その後、昭和53年に打ち上げ場所が変更され、「隅田川花火大会」と改名され復活を遂げます。
実は「隅田川」の名前は意外にも新しく、正式な名称になったのは昭和40年。
もともと隅田川は荒川の河川の一部でした。ちなみに荒川の名称は荒い=勢いが激しい川に由来します。
たびたび氾濫する荒川の勢いを弱めるために川を2つに分岐する放水路が作られ、現在の隅田川が誕生しました。
花火大会は日本中夏場だけでも大小合わせて約4500会場で開催されているそうです。
花火は日本のお家芸、歴史も古い?いえいえ、日本で花火文化が花開いたのは意外と遅く江戸時代になってからで、14世紀後半にはイタリアのフィレンツェで火薬を使った世界初の花火が誕生しています。
当時は宮廷花火いう貴族をもてなすためのもので、火を噴く人形などあっと驚くような仕掛けになっていたようです。
花火に使われる火薬が日本に入ってきたのは戦国時代の後期、1543年の鉄砲伝来の時でした。
種子島に流れ着いたポルトガル人から火縄銃を2丁購入、構造を調べるために分解して国産の火器を作りました。
しかし問題は火薬の製造。
火薬は黒色火薬というもので木炭と硫黄、硝酸カリウム(硝石)の混合物なのですが、日本では硝酸カリウムが採れません。
そこで大貿易港だった大阪の堺が硝石の輸入をすることになり日本でも火薬が作られるようになりました。
諸説ありますが、火薬を使った日本初の花火を見たのは徳川家康といわれています。
1613年にイギリスより国書を受け取る為に駿府国(静岡県)に赴いた際に余興として立花火というものが披露されたそうです。
立花火とは節を抜いた竹筒に黒色火薬を詰めて、垂直に立てた竹筒から噴出する火花を楽しむというもの。
徳川家康の傍らにひかえていた三河(愛知県)の鉄砲隊がそれを見ており、故郷に帰ってからそれを参考に花火を作ったそうです。
これが日本初めての鑑賞用花火といわれ、愛知県が花火発祥の地といわれる理由です。
こうして国産花火が誕生し、時は戦もなく平和な江戸時代。
武器として使用されてきた火薬は優美な遊びのための花火に姿を変え江戸庶民の間でまたたく間に流行します。
江戸時代の花火は一発打ち上げるのにたいそう時間がかかったそうです。
打ち上げ筒を倒して掃除、火薬を詰めなおすという作業をしてから2発目が上がるのですが、その時間は30分以上。
このころの花火は噴出し式が一般的で、花火師が手で持ちそれを囲んで鑑賞しました。
現在のような打ち上げ式の花火が登場するのはもう少しあとになってからです。
隅田川を行き来する納涼船の合間を花火師の乗った花火船が行き交い、お客の注文に応じてその都度花火を披露しました。
電灯がない時代、夜の闇を切り裂きパッとあたりを明るく照らす花火はきっと魅力だったはずです。
江戸の人たちの粋はゆったりと船に揺られながら、水面に映る花火を肴にキュッと冷えたお酒を楽しむことだったのかもしれませんね。
私もいつか水面に映る花火をみながら冷えたシャンパンを粋に飲んでみたいな~。