「新しい料理の発見は、新しい星の発見よりも、人類の幸福に貢献した」
19世紀初頭のフランスの美食家ブリア=サヴァランの言葉です。
新しい星を発見しても人々の暮らしには何の影響も与えないが、新しい料理法や料理を発見することで世界中の人々を美味しさで幸福な気持ちにすることができる、という意味らしいのですが、とにかく美味しいことは幸せだ、美味しいものは人を幸せにする、と勝手に解釈しています。
私は20歳を超えた頃から料理人の友達が沢山できました。
そのころからフランス料理に興味を持ち、星付きレストラン巡りをした時代があります。
1980年代後半、はじめての三つ星レストラン訪問はパリ16区にある「ジャマン」。
当時のオーナーシェフはジョエル・ロブション氏ですが、もともとはレーモン・ジャマン氏という、パリのパレ・ロワイヤルにあるレストランで働いていたギャルソンが独立して開業したお店です。
そのお店はグラン・ヴェフェールという由緒正しい現在進行形の伝説のレストランで、アレクサンドル・デュマやナポレオンとジョゼフィーヌなど、ワインの教科書にも必ず登場する歴史的人物が食事をしたといわれています。
独立したジャマン氏が亡くなった後、1981年にお店の名前と共に引き継いだのが、ジョエル・ロブション氏でした。
引き継いだ3年後、1984年に最高の栄誉であるミシュランの三つ星を獲得するというスピード出世。
パリにわずか4軒しかない三つ星レストランのひとつとなり、弱冠39歳の最年少オーナーシェフは世界中に注目されることになります。
ジョエル・ロブション氏は1945年4月7日、フランス・パリの南西340kmに位置するポワティエ生まれ。
お父様は左官職人で料理とは全く関係のない家に生まれましたが、家庭の事情で進学せず15歳の時に開業したばかりのホテルに料理見習いとして勤めました。
そこで出会ったシェフが彼の料理人生を変えたそうです。
シェフは知識が豊富で職人気質。
シャルキュトリー(肉加工品)、パティスリー(菓子)、コンフィズリー(果実煮)など何でも作れて、寒い冬にシャツ一枚で森や川にでかけ、ちょこちょこっと材料を仕留めてくる、そんなシェフの下で働いたことで、勉強しよう、良い職人になれるよう努力を惜しまないと心に決めました。
当時の月給は50フラン、そのうち部屋代が30フランで、1年に2~3日しか休日は無く、洋服も買えず、食べることにも不自由した修業時代。
それでもお金が欲しいから料理人を捨てようとは決して思わなかったそうです。
ジョエル・ロブション氏の料理で印象的なのは、お皿の淵を飾るドットとソースの美しい色合い。
ポツポツと均等間隔の水玉模様のソースは、失敗したらどうするのかしら?と心配になるくらいの細かい作業。
でも私が忘れられないのは、赤ピーマンのバヴァロアとポム・ピュレと呼ばれるマッシュポテトの味。
オマール、フォアグラ、トリュフ、モリーユなどの高級食材よりもピーマンとジャガイモがこんな素敵な味になるのだ、と感動すら覚えました。
「年をとればとるほど、何が真実か気づくようになった。食べ物はシンプルであればあるほど、特別なものになる」、「3種類以上の味を1つの皿で合わせようとは決してしない。
調理場に入れば、どういう料理で、使われているのがどういう材料か、すぐに分かるのが好きだ」とジョエル・ロブション氏は言っています。
一世を風靡した伝説的なフランス料理人、ジョエル・ロブション氏が亡くなったのは今年8月6日。
美食の世界に対する足跡と貢献は今後も称賛されることでしょう。
客席に出てお客様に挨拶をしないジョエル・ロブション氏。
初めての三つ星レストラン訪問の思い出は、ジャマンの厨房裏口の前で何時間も待ち、ムッシュ・ジョエル・ロブションに握手をしてもらったことです。