fumifumi談義~マルサネ~

2月のある日、友人たちとフレンチ・レストランへ。

そこで飲んだワインがとても美味しくて、とても幸せな気持ちになりました。
(ワインを美味しく感じたのは、素晴らしいお料理と楽しい会話のおかげかもしれませんが)

そのワインはブルゴーニュ地方のマルサネの赤。

マルサネはディジョンから8kmほど南に下った2つめの村で、正式名称はマルサネ・ラ・コート村といいます。

諸説ありますが、
マルサネの名前は修道院の書物に「Marcenniacus=マルシアヌスの所有地」という記載があることから、
ガロ・ロマン時代のマルシアヌス(Marcianus)という男性の領地だったことに由来します。

マルサネ・ラ・コート、クシェィ、シュノーヴの3村で生産された
赤・白・ロゼワインにマルサネの表記ができます。

ブルゴーニュ地方を代表するブドウ品種といえばピノ・ノワールとシャルドネですが、
マルサネは20世紀の初めまでガメイとアリゴテ主体の生産地でした。

近隣の村、特にディジョンむけに日常酒を供給していたそうです。

19世紀末に整備された鉄道網により、南の生産地から安価なワインが流入し始めます。

その結果、徐々にマルサネのワインは得意先を失っていきました。

活気のなくなったマルサネを復活させたのは偉大なる造り手
ドメーヌ・クレール・ダユのジョゼフ・クレール氏でした。

当時ブルゴーニュではあまり知られていないロゼを考案したのです。

ロゼは大いにもてはやされ、農家はガメイをピノ・ノワールに植え変えてワインを生産しました。

努力の甲斐があり、1965年にブルゴーニュ・マルサネ、ブルゴーニュ・ロゼ・ド・マルサネの表示が認められました。

ところが、生産者たちが望んでいたのはコート・ド・ニュイ・ヴィラージュを名乗ることだったのです。

コート・ド・ニュイ・ヴィラージュを構成する村は、
ブロション、コンブランシアン、コルゴロワン、フィサン、プレモー・プリセの5村。

これらの村はマルサネがコート・ド・ニュイ・ヴィラージュに仲間入りすることを大反対、
とうとう実現しませんでした。

その後、1987年にマルサネは単独名称が認められます。

とても名誉なことなのですが、マルサネにとってはハードルが高くなることを意味していました。

偉大なワインを生産する村々、ジュヴレ・シャンベルタン、モレ・サン・ドニ、
シャンボール・ミュジニィ、ヴォーヌ・ロマネと同じ土俵で勝負をしなければならなくなったからです。

できれば、お隣のフィサンのように、村名またはコート・ド・ニュイ・ヴィラージュのどちらかを
選択できるようになりたいと思っていたのですが、願いは叶いませんでした。

ところが、マルサネは偉大なワインを生産する村にひけを取らない素晴らしい土壌に恵まれていることがわかりました。

マルサネ・ラ・コート村とクシェイ村の斜面中腹には、
ジュヴレ・シャンベルタン村の特級畑シャンベルタンやクロ・ド・ベーズの下部と同様の
ウミユリ石灰岩の層が南北に伸びています。

マルサネ・ラ・コート村の北側斜面に位置する畑のロンジュロワはプレモー石灰岩で、
特級畑マジ・シャンベルタンと同じ土壌だそうです。

マルサネには特級畑も一級畑もありませんが、いつか特例で一級畑が誕生するかもしれませんね。

たまたまフレンチ・レストランで選んだマルサネのワイン。

今一番のお気に入りです。


One thought on “fumifumi談義~マルサネ~

  1. マルサネ 先生の太鼓判!あれから益々自信をもってお薦めしています❗ありがとうございます。

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